>ランボルギーニ・ガヤルド購入記

よく聞かれること。「なぜフェラーリではなくランボルギーニなのか」

2016/08/11

LINEで送る
Pocket

a0051152_21323286

ガヤルドを購入した時、やはり良く聞かれたのが、「なぜフェラーリではなくてランボルギーニなのか」ということ。
以前にもエントリーしたとおり、ぼくはやはり無骨なものを好みますし、その中でも洗練や、繊細さを非常に愛するわけです。そういったデザイン的にぼくが好きな要素を備えているのがやはりガヤルドなのですよね。リセールや一般受けを考えると圧倒的にフェラーリなのですが、少数派でなおかつ自分の信念を貫き通したいぼくとしては、やはりそれらをなげうってでも「ガヤルド」なわけです。

たしかにぼくの周囲でも、新車でフェラーリを購入した方は多いですが、新車でランボルギーニを購入した、という話はあまり聞いたことがありません。「よく新車で買ったな(購入金額じゃなくてリセールを指していると思われる)」と言われることが多いですが、とにかく世間ではランボルギーニを新車で買った者に対しては「勇者」の称号が与えられるッ!みたいな、それがいかに奇特で常識ハズレな行為であるかを周囲の発言によってあらためて認識させられる機会が多いです。

とにかくぼくもナンバー付けたとたんに飛んでゆく1000万が怖いですが(お札に羽根が生えてバサバサとぼくのもとから飛び立つ様子が容易に想像できる)、思えば人生は大なり小なり失うことの連続ですし、ぼくらは常に一つの選択に対してひとつのもの、もしくはそれ以上を捨てたり失ったりしているわけです。「得るだけ」という機会は多いようでじつは多くはないのですね。ならば、失うことを前提として「得る」ものを最大限にするのも生き方の一つの選択肢なわけです。
シェイクスピアいわく「貧乏でも満足している人間は金持ち、それとも非常な金持ちです。だが、大金持ちでも、いつ貧乏になるかとびくついている人間は、冬枯れのようなものです。」とありますので、失うことは恐れずに乗ろうと思います。

->ランボルギーニ・ガヤルド購入記