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「ポルシェという車は、そこへ行きたいと思ったときには、もうそこにいる車だ」

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「ポルシェという車は、そこへ行きたいと思ったときには、もうそこにいる車だ」
という表現を徳大寺氏がかつてしておられたことがありますが(正確に覚えていない)、その言葉を目にした当時、ぼくはポルシェを保有していなくて、その意味について考えたものです。

現実的に考えると、そんなことはありえないので、それはなにか抽象的な、また比喩的な表現だろう、というのが当時のぼくの結論です。
時が移ろい、現在。とにかくポルシェというのはじつに楽しい車でして、ハイウエイを流しているときでも、左右に散らばる車を見て、ぼくは自分が走りたいラインを思い描くのです。
右車線に出て、今前にいるオデッセイを抜く。そして、そこから左へ切り返してオデッセイの前に出た後、また右車線へ移動してファスト・レーンのチェイサーの前に出る。そしてそのままガスペダルを踏み続けて走り去る。そんなことを考えていると、すでにぼくはオデッセイをかわしてチェイサーの前に出て、ガスペダルを踏みつけているわけです。ぼくがラインを頭に描いたとき、ぼくと997はもうそこにいて、そのラインは現実のものとなっているのです。

パワーを稼ぐためにシフトダウンしてエンジンの回転数を上げる必要もないし、ガスペダルを踏んでトルクがついてくるのをじれったく感じながら待つ必要も無いのです。そこにあるのは、ただぼくの感覚に忠実にラインを描く997なのです。
石橋を叩いて渡る性格のぼくにとって、思ったと同時に行動する、いや思うよりも前に行動するというのは非常に珍しいことであり、それだけぼくは997を信頼していると言えます。そして、自分が加速したいと思っただけ加速して、曲がりたいと思っただけ曲がって、止まりたいと思っただけ止まる。それはまるで自分の体のようで、そういった感覚とのズレの無さを称して、氏は冒頭の言葉を述べたのだと思うのです。

その感覚はカレラを運転しているときよりも他の車を運転しているときに顕著で、「カレラであれば、もうあそこにいるハズなのに」。少し先にある、ポッカリ空いた、しかしいくつかの車に阻まれていて、今運転している車では到達できないその場所を見つめてぼくはそう思うのです。

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