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「モテ」と「モノ」」を考える。モテを狙ってモノを選ぶことについて

2016/10/24

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最近はメディアではやたらと「モテ」をアピールしていますよね。
男性向け、女性向けともに同じです。
たとえば「モテる靴」。
靴でモテたら苦労しない、と思うのですが、とにかくキーワード「モテ」が入っていないと商業的にはキツいのかもしれません。
ある時に「これがモテ」と紹介されていても別の機会では「また別のモテ」が出てくるわけで、キリがありません。

はっきり言って、ぼくは良くも悪くも天上天下唯我独尊(一発で変換できた、凄い)的部分がありまして、自分の嗜好については譲らない部分があります。
どんなに世間ではそれが人気があっても、ぼくの信条にあわないものは気になりませんし、逆にどんなに人気が無くても己の信念を貫くために選ぶものもあります。

利便性や機能性よりも、自分の信念に忠実にモノを選ぶ傾向が強いのですね。
そこがぼくの常識知らずといわれる所以ですが、とにかく自分の満足度が高くなければ、世間的にどんなに評価が高くともそれは無意味、つまりナッシングなわけです。

しかしながら、それはぼくの価値観であって、「世間での評価が高い=自分の評価が高い=満足度高い」というトリプル高的価値観の方もいらっしゃいます。
それはそれでひとつの判断基準ですし、否定するつもりはありませんし、もちろん尊重しています。
当然世間での評価が高いものは一般に良いものです。今は情報の伝達速度が早く内容も濃いので本当に良いものしか評価されにくくなっており、従って世間で評価が高いものを選ぶのもひとつの立派なスタンダードです。

しかしときどき思うのは、下心ありきで選ばれたモノたちの運命についてです。たとえば、狙っている女の子が「あたしアルファロメオじゃなきゃ嫌なの」という言葉を真に受けてアルファ買ったとします。でも、それでその女の子のこころを得ることができるかといえばそうではありませんし、次の日にはその女の子は別の何かに感化されて「SLじゃないとダメよ」と言い出すかもしれないのです。そのようにして選ばれたモノたち、つまり愛情や情熱無しに選ばれたモノたちはちょっと可哀想だなあ、と思います。
誰でも言うのは簡単です。「これが好き、あれが好き」。ですが、誰がその言葉に対して責任を取ることができるのか?「お前アルファ好きって言ったじゃねーか、だから買ったんだよ」と言ってみても、その女の子の心はもうSLなわけで、責任を取ってくれるわけではありません。責任を取るのは自分自身であり、従ってぼくらは自分の判断に責任を負う必要があるのです。この場合、一番迷惑するのはアルファかもしれず、そうやって選ばれたモノはすこし可哀想だなあ、と思います。

最近ポルシェは販売が好調で、各ブログ上でも知ることができるように自分好みの仕様でオーダーされる方が増えました。そういった方々のポルシェは納期も延びる方向にあり、従って納車待ちの期間が長いです。その間に皆さん色々な準備をされています。そのようにして暖かく迎え入れられる皆さんのポルシェは本当に幸せではないかと思います。皆さんの価値観で選んだ皆さんのポルシェ、このように妥協無く選ばれたモノはモノ冥利に尽きるでしょう。

周囲に踊らされて自分の基準でモノを選ばないと後々後悔する事になりますし、結局自分の行動に責任を取らなくてはならないのは他でもない、自分自身です。ぼくたちが他の誰の人生に対しても責任を負えないのと同様、他の誰もぼくたちの人生に対して責任を負うことはしないのです。もちろんメディアも責任を取ってはくれません。ベストバイと書かれているものを選んで失敗しても、それは自分の責任です。そう考えると、自分自身のスタンダードをいかに築くかが重要であり、そのスタンダードは自分の中にあるのです。それは人それぞれであり、けして気になる異性やメディアが決定するものではないと思います。

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