●コラム/近況

「誰がなんと言おうと、ぼくはぼくの生きたいように生きる」

2016/08/11

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「誰がなんと言おうと、ぼくはぼくの生き方を変えようとはしなかったね。ぼくはぼくの生きたいように生きる」

とは、しばらく前のキミ・ライコネンのインタビューにおける言葉で、マクラーレン在籍時には、レース以外のこと、サーキットの外でのことにも口出しをされ、自身のライフスタイルなどの変更を要求されたが、けして自分は自分であることを忘れなかった、という主旨の記事になります。

ぼくらレーシングドライバーではありませんが、実社会に生きていると、同様のことがありますよね。
会社ではきちんと仕事をしていても、仕事以外のことで(会社から)口出しを受ける、ということです。
(自動車会社だと)自分の会社以外のメーカーの自動車に乗るな、とか派手な色の車に乗るな、とか(合法でも)改造車に乗るな、とか、そういったことです。

他にも持ち物や衣類、個人的嗜好に干渉される場合もあります。
誰にも迷惑をかけない範囲において、法令に違反しない範囲において、人生を楽しむのは悪いことではないと思いますし、ちゃんと仕事してりゃそれでいいじゃやない、ということですが、にもかかわらず、さまざまな制約を(所属する組織から)受けることは多いと思うのですね。

さまざまな組織に属している以前に、ぼくらはいち個人であって、組織は可能な限り個人には干渉するべきではない、というのがぼくの信条でもあります。
そんなわけで、ぼくは人に干渉するのも干渉されるのも嫌う傾向にありますが、「自分が自分であることを維持する」のは現代社会においては、ある意味たいへんな労力を要することですよね。

それらはつまり、ぼくらが所属する組織、権力から生活の手段としての「お金」を得るために自らの魂を切り売りしているとも置き換えることができますが、ぼくらはその過程において、常になにかを失っている、ということなのです。

雇用関係においては、雇用する側、雇用される側は常に対等でなければないわけで、思想の侵害もあってはならないと思いますが、別の(F1関連の)記事では、マクラーレンでは国旗をヘルメットのモチーフとして使用することは不可、というものも見かけてちょっと驚きました。
マクラーレンは自動車メーカー資本ではないのでスポンサー重視なのはわかりますが、マクラーレンにとってはドライバーの母国の国旗よりもスポンサーロゴの方が重要なのか、と考えてしまったりするわけです。

また、各種イベントへの参加もかなり制限を受けているようで、実際のところは当事者にしかわかりませんが、かなり思想や私生活の犠牲を余儀なくされそうな雰囲気を感じます。
スポーツ界にはそういった制限も多いようですが、多くの場合はそのスポーツ自体やファン層へのイメージを考慮したケースが多いようにも思え、しかしマクラーレンの場合はちょっと違うようにも思います。どのような世界においても、異端児や扱いにくい人間は能力があっても疎外されやすい、ということもありますが、組織自体にも「管理」の意味合いが異なるのでしょうね。できれば個人の能力や性格にあったプログラムを以て最大限に個人の持てる能力をストレスなく発揮させることができる組織が理想ですが、個人毎に適した管理を行うのか、はたまた組織の基準に沿うように個人を「管理」するのか、現実はなかなか難しいものです。

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