●コラム/近況

お金とその遣い方、捉え方、意味について考える。「お金のためにお金は稼がない」

2016/08/12

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人は、常により良いものを求め、まいにちを過ごすわけです。
より良い給料、より良い恋人、より良い住居、よりおいしい食べ物、より良い車、ひとつづつ挙げればそれはキリがありませんが、とにかく人の欲望には限りが無く、そういった限りない欲望が現在の文明を築いたと言えます。

日本では古来よりお金に執着することは良いことではなく、清貧を美徳とする習慣があります。
しかしながらビジネススタイルの変化、欧米思想の流入(お金儲けのHowto本など)によってそれも変わりつつあり、サラリーマンでも副業を持ったり、デイトレーディングに励んだりと、世の中ちょっと変わってきた感じに。

個人的にはお金に執着することは好きではありませんし、通貨で準通貨を購入することもあまり好きではありません(証券会社にいたので、お金は最も頼りになると同時に最も頼りに出来ないものであることも身をもって知ったわけです)。
ぼくにとってお金とは、あくまでも好きなものを購入するための手段であって、何かほしいものを得る(手段としてのお金を得る)ために何かをしても、純粋にお金儲けの為だけに何かする、という気はあまり起きないわけです。

「人それぞれお金持ちになる方法は違う」、とは「金持ち父さん」ロバート・キヨサキの言ですが、海外の人が書いた「お金持ちになる本」と日本人が書いたものも決定的に違いがあって、日本人の著書の場合は「節約してお金を貯める」方式であるのに対し、海外の人は「積極的に投資を行う」スタイルが多いようですね。
※ぼくはその手の本を好んで読む方ではありませんが、周囲が貸してくれたりすることもあって、いくらか読んだりするのです

日本式のやり方については、かねてからぼくは疑問を持っていて、いくら節約しても絶対的インカムが少なければ、いくら貯金してもアヴェンタドールは買えないわけです。

何度か書いたことがありますが、ぼくは「お金は天下の回りもの」であって遣わなければ自分のところへ戻ってこないと信じていますので、無用に貯め込むことはしません。
ぼくにとっての貯めたお金は(遣わなければ、また遣う意思がなければ)紙同然であって、存在しないも同様であり、やはりお金は「遣ってナンボ」なわけです。
いくらお金を持っていても遣わなくては意味がない、と考えているのです。

ただし要はその遣い方が問題なのであって、将来自分のところへ戻ってくるように遣わなくてはならない、ということですね。
その遣い方は人それぞれであり、株を購入しても良いですし、周囲の人を食べ物やお酒で飼い慣らしても良いでしょう。
自己の知識やスキルを向上させるのに遣うのも良いでしょうね。

とにかく、自分のためになるようなお金の遣い方をする、これが重要で、ここで無駄なお金の遣い方、つまり正確な投資ができないと「無駄遣い」になってしまうわけです。
そういった正しい投資というのは時として難しく、いかに自分の能力、自分のポジションを正確に把握できているかにかかっています。

正確に能力を活かして投資を行い、投資の結果能力を活かせるようなお金の遣い方が必要なのですが、風俗やパチンコにお金をつっこんで、結果その道の達人になって不労所得を得る人だっていますので、一概に他人が「その人にとって何が正しくて何がムダか」を判断することはできない、とも考えています。

彼らは彼らの信じるものに対して投資を行っており、ぼくもまた、自分が信じるものに他対してお金を遣うわけです(よって、ぼくはぼくのお金の遣い方に口出しされるのが好きではない)。

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