●コラム/近況

クリスマスや正月など、「イベント」「特別な日」について考える

2016/09/01

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ぼくは、クリスマスやお正月などのイベントがあまり好きではありません。
天邪鬼なので「人と同じときに同じことをする」とい行為が好きではないのですが、それよりもイベントにより生活のリズムが乱れることが好ましくなく、ぼくは、まいにち同じことをして同じように生活するのが大好きなのです。

ぼくらはあまりにもルーティン化されたまいにちを過ごすあまり、その一日の重要性を忘れてしまっていると思うのですが、つまり「クリスマスと特別な日」扱いすることは、そうじゃない普通の日は「特別ではない日」ということになります。

ですがぼくにとってはクリスマスもそうでない日も同じように「たいせつな一日」であり、「今日はクリスマスだから特別」「今日はクリスマスじゃないからどうでもいいや」ではないのです。

今日という日は昨日の延長であり、そして未来へと続く一日です。
昨日と同じ今日を迎えることができたことをぼくは感謝しますし、もしかすると明日目が覚めると、全てを失っているかもしれない。
そう考えてまいにちを過ごしているのです。

ぼくらが当然だと考えているものは容易に失われ、破壊され、持ち去られる可能性だってあるのですね。
だからこそぼくは毎日その日に出来ることは必ずやっておくわけで、いつ何が起きても悔いのない毎日を過ごすように心がけているわけです。
もしもこの人と話すのがこれで最後だったら、もしもこの車を運転するのがこれで最後だったら、もしもこの食事が最後だったら、もしも今日と同じ明日がやって来なかったら。

ぼくがそう考えるのは、以前にぼくが絶対だと思っていたものや当然享受できるものだと信じて疑わなかったものが瞬時にしてぼくの意思とはぼくの手からすりぬけて失われてしまったからなのですが、それ以降は(以前もそうでしたが)より一層自分の殻に閉じこもる傾向が強くなったように思います。

そしてもうひとつ、クリスマスなど特別な日が好きではない理由として、「皆が流されているから」というものがあります。
マリリン・マンソンいわく「俺は本当の神がきらいなわけじゃなくて、神にすがるヤツらが嫌いなだけだ」と発言しており、まさにこれがぼくの心情を表しているのかもしれません。

ぼくはクリスマスが嫌いなわけじゃや無く(むしろ宗教上の重要な日であることは理解している)、正確に言うとクリスマスだからと大はしゃぎする連中が嫌いなわけです。
卒業式や成人式や祭りでバカ騒ぎする連中と同じで、自分たちの抱える不満や欲望をさらけ出す場としてそういった「クリスマス」のようなイベントを選んでいるわけであり、それはつまり「他人になんらかの場を提供してもらわないと、自分で楽しみを創出できない」受け身の人たちであるように思えるのですね。

自身が真にクリエイティブであるならば、イベントにかかわらず楽しい毎日を過ごせるはずですし、それができずに他人に用意してもらった場でなにかを発散するという行為が好きになれないだと思います。

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