●コラム/近況

なぜ一部の若者はイスラム国をめざすのか?あるいは村上龍を考える

2016/09/08

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air5

各国でイスラム国への若者の参加が世間を賑わせていますが、とくに宗教的な目的や明確な意志があったわけではなく、単に「社会に閉塞感を感じ、鬱積した感情をどこかで晴らしたかった」ことが目的であった、というのはひとつの衝撃ですね。

あまり宗教的なことは述べたくはありませんが、一部の宗教は貧しい人々、行き場の無い人々をターゲットするものがあり(正確に言えば宗教がそういった人を狙うというよりは、宗教を利用して悪意のある人が困っている人々を狙う)、それは人々の心の隙間や弱さにつけ込んだものであるかもしれない、と考えたりします。

そこで思い出すのが村上龍の「希望の国のエクソダス(1998年から連載、2000年に刊行)」ですが、イスラム国の一件はこれと非常に良く似ていて、ちょっと驚くことがあります。
小説の中では、中東で戦うある日本人が報道され、それに憧れた少年たちが戦争に参加しようとして行動を起こす(しかし何か宗教的背景があるわけではない。ただ環境や日本の社会に不満があるだけ)、というもので、その行動心理が非常に良く似ています。

氏は「愛と幻想のファシズム」以降は経済小説家色を強めていますが、いくつの小説では非常によく日本の現状を表しており、経済評論家よりずっとよく日本を理解している、とぼくは考えています(その真意が理解されない場合が多いですが「13歳のハローワーク」も同じだと考えています)。

氏の作品の場合、なにか現状に不満を持っている主人公が登場することがほとんどですが、その不満を暴力、ただ人を傷つけることに使用するのではなく、何か前向きなエネルギーに変換していることが大きな特徴だと言えます。
そして、「半島をい出よ」のように、その方向は個々の経験や指向によるもので、それらはあるいは、かつて世間から「異端」とされていたものの場合が多いようです(「歌うクジラ」もそこは同じ)。

もうひとつの特徴として、宗教的な側面を持つ話もありますが、宗教そのものに触れず、すべての思想について尊重する姿勢も見られる、とぼくは考えています。

暴力やセックスの描写があまりに露骨なので、なにかと「攻撃的」な作家だと理解されがちですが、そのメッセージや表現は、もしかすると「一番優しい」部類の作家なのでは、と考えることもあります。
これは、村上春樹氏がその優しい文体とは裏腹に、非常に排他的(批判ではなく独自の正解感があるということ。しかしその世界観に合致しないものに対する姿勢で)あることとは正反対とも言え、同様に宮崎駿氏においても言えると考えています。

その意味においては、ぼくは村上龍氏のほうが村上春樹氏よりノーベル賞に近いのではと考えることがあります。

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