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体育の時間、そして他人と比較した自分の運動神経について考える

2016/09/11

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先日、子供の頃の図画工作の時間での出来事について触れましたが、そのとき、ぼくがもうひとつ認識したことがあります。

それは、他の男子がつくったものと自分がつくったものとの差。
それはけっこうな衝撃で(自分では自分が思った以上のものを作れることをその時に知った)、まるで自分が違う世界からやってきた人間のような気がしたものです。

よく映画などで、記憶喪失のエージェントがとっさの事態に的確に対応して常人以上の能力を発揮し、その自分自身に驚いて「自分にこんな能力が・・・?」というシーンがあるかと思いますが、そんな感じですね。
とにかく激しい違和感を感じたとしかいいようがなく、正直なところ今でもぼくはその違和感を持ち続けています。

ここは自分のいるべき世界ではない、というのがその違和感を言葉にしたものですが、「じゃあどこが自分がいるべき世界はどこか」というのが未だもってわからない、というのも常にぼくが抱えるフラストレーションでもあります。

そしてもうひとつ、小学校時代に自分について理解したことがあるのですね。
それは「ぼくは、まったく運動ができない」ということ。
頭に描いたイメージを両手が忠実に再現できるのとは別に、頭に描いたイメージのとおりに体を動かすことは非常に難しい、と気づいたのですね。
たとえば球技、バドミントンをしているとしましょう。
シャトルが飛んできて、それを打とうとしてぼくはラケットを振ります。
イメージとしてはラケットの中央でシャトルを捉えているのですが、現実は「ラケットにシャトルがかすりもしない」わけです。
つまり、それだけ脳内の認識と肉体の行動がズレているわけですね。

ぼくの思い通りに動くのは「両手の先からだけ」であり、身体自体はイメージ通りに動いておいらず、いわゆる運動オンチというやつです。

そんなこともあり、ぼくは自分自身が「一般からかなり上下にずれている」ことを小学校の時に悟ってしまったわけですね。

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