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自動車選びにおけるパラダイムシフトについて考える

2016/09/26

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自動車について、その市場や消費者の変化、といったところについては折にふれて述べてきました。

モノには「本質的価値」と「付加価値」があるわけですが、そのモノの市場や技術が未発達である場合、モノは「本質的価値」で選ばれる傾向にあります。

つまり、自動車が未発達(もしくは発展の余地があった)な場合、「自動車として、より優れた機能を持つ製品=機械的な、自動車としての完成度が高いモノ」が優位性を持つことになります。

ですが、現代のように、自動車の性能が向上し、どのメーカーでも一定の性能を持ちうるに至った場合、性能では選べない」もしくは「性能で選ぶ必要がない」という状態が発生するわけですね。
なぜなら、度の車を選んでも、そこそこの走りをして、そこそこの燃費を出すからです。

となると、消費者が車を選ぶ基準は何か?というところになるのですね。
冒頭で「本質的価値」と「付加価値」について触れましたが、現代においては本質的価値よりも、「付加価値」が占める比重が大きくなってきている、と考えるわけです。

つまり、その車の持つイメージや、その車に乗ることでどんな楽しみが得られるか、ということですね。
以前に、経済学者レビットの「ドリルの穴」について述べたことがあります。
消費者がドリルを購入するとき、ドリルそのものが欲しいわけではなくて、ドリルで開ける「穴」を購入しているのだ、というアレです。

車も同じで、車に乗って何ができるのかということが重要なわけで、しかし「何ができるか」というところが変化しているのですね。
かつては「壊れない」「そこそこ走る」「燃費がいい」という、必要最低限の基準が「何ができるか」という要件であったとすれば。
すでにその要件はどのメーカーでも満たしているので、「その先」が要件となるわけです。

車そのものは、もはや(公共交通手段の発達で)必需品とは必ずしも言えない側面を持つに至っていて、それは腕時計も同じです。
「時を知る」ということであれば、誰もが持っているスマートフォンや携帯電話のほうがより正確で、もはや腕時計を身につける必要、というのはなくなったわけですね。
なので、腕時計においては「希少性」や「ファッションアイテム」としての側面がより強く求められるようになり、「時を知る」という時計本来の選ばれ方から、パラダイムシフトが起きたと言えるわけです。

それと同様、自動車においてもパラダイムシフトが発生しているわけですが、ここがメーカーの分かれ道だと思うのですね。

1.自動車の用途として、「モノを運ぶ」という需要は必ずあり、そこへ特化するのもひとつの道です。
2.自動車が世に出た時、人々が最初に行ったのは「速さ競争」だと言いますので、より速く走れる自動車も需要がありますね。
3.そして、途上国などまだ自動車が移動に必須である地域のために、低価格でとりあえず人とモノを運べる自動車も必要です。

それ以外に、というところが現代新たに発生している需要があり、腕時計のように「希少性」や「ファッション性」だとも思うのですね。
フェラーリやランボルギーニのように「エクスクルーシブ=排他性」を持つことが非常に重要で、それを持ち得ないメーカーは上記1/2/3という、旧来の需要に特化する必要があるわけです。

多くの日本車メーカーは、1~3を満たす車を持っていても、それ以上の要求を満たすものが無いように思います。
であれば、後から出てくる競合メーカーに打ち勝つ手段が無いわけで、「安価で性能が良い」ことしか売りがなければ、現在の北米のように、韓国車に迫られることもあり、仮に韓国車の品質が向上すれば、日本車の存在意義そのものが無くなってしまうことにもなります。
つまり、多くの日本車は「本質的価値」の比重が「付加価値」よりもずっと大きく、しかし「本質的価値」は他のメーカーでも持ちうるので、競争的優位性が失われしまう、ということですね。

ぼくが言いたかったのは、市場や消費者の選択基準が変わっているのに、それを供給する自動車メーカーの一部は、未だ「本質的価値」を重視していて、「付加価値」をないがしろにしている、ということです。

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コーヒー業界だと、スターバックスが良い例かもしれません。
現CEOがイタリア訪問時に「カフェ文化」に触れ、「コーヒーという本質的価値」に(視覚含む)コミュニケーションという「付加価値=コーヒーと消費者との間にあるインターフェースのようなもの」を取り入れようとしたこと、がコーヒー業界におけるパラダイムシフトだと、ぼくは考えています。
「いいコーヒーを淹れれば客が来る」のではなく、「コーヒーという本質的価値に、コミュニケーションという付加価値をプラスしたもの」を提供する。
つまり、スターバックスにおける「製品」とはコーヒーそのものではなく、「コーヒー+店舗やサービス含むコミュニケーション」の複合体であると言えるわけです(スターバックスのコーヒー単体では、現在のスターバックスとして成立しえなかった)。
それがスターバックスの持つ「排他性」であり、他では持ち得ない資産、ということですね。

ただ、「本質的価値」は絶対性がある(誰に対しても同じ価値を持つ)のに対し、「付加価値」は相対的です(人によって感じる価値が変わる)。
なので、付加価値の追求にはきっちりとしたターゲット設定が必要になります。

「フェラーリより速い車を作れ」といわれると、一部のメーカーはそれが可能かもしれません。
純粋に、数字でそれを示せば「フェラーリより速い」ことを証明するのは可能です。
ですが、それを持って「フェラーリを超えた」と言えるかどうか、は別問題なのですね。
本質的価値としてのフェラーリは超えることができるかもしれませんが、付加価値部分としてのフェラーリは超えることが(同じ路線では)できないわけですね。

速さ、という基準には「絶対性」がありますが、「格好良さ」「美しさ」「フェラーリの歴史」、それに対する人々の感じ方には相対性があり、それを「超えた」かどうかは人々の感じ方によるわけです。

もう一回腕時計を例にとると、物量だと腕時計の販売に占める80%くらいは日本の腕時計であるのに対し、金額という観点からだと80%を占めるのはスイス 製高級腕時計になり、状況が逆転してしまう、という統計があるそうですが、それだけ人々は「付加価値」を重要視している(現代では”不要”とも思える腕時 計であるだけになおさら)とも考えられます。

自動車選びにおけるパラダイムシフトについて、重要なファクターがあります。

それは「ブランド」。

ブランドは一日にして成立しないもので、ブランドがブランド足りうる要件の一つとして「歴史」がある、とよく言われます。
なので、ブランドの売買、といったものが重要性を帯びてくるわけです。
ルイ・ヴィトンを筆頭とするLVMHグループ、カルティエを擁するリシュモン・グループがやはりブランドを買収し再構築している、といったこともそれを現しています。

自動車業界だとやはりVWアウディグループですね。
単純に言うと、ミニはミニブランドから発売されているからミニ足りうるわけで、仮にミニと同じ車を他のメーカーがほかブランドで発売しても、現在のような成功は収めることはできなかっただろう、ということが容易に想像出来ます。
仮にイヴォークがレンジローバーブランドでなければ、ぼくは購入しなかったでしょうし、つまりはそういうことですね。

ブランドは「腐っても鯛」であり、現在はイマイチであっても、そこに至るまでに培ったイメージ、というものがあります。

先日、タタのランドローバー/ジャガーの買収に触れましたが、もはや斜陽としか言いようのなかったそれらブランドを復活させたのは非常に面白い例と言えます。
仮にタタが、現在のジャガーXJや、XKをタタブランドで発売していたなら。
仮にタタが、イヴォークをタタブランドで発売していたなら。
当然、今のような成功はないものと考えられます。
XJやXK、イヴォークはジャガー/ランドローバーが連綿と築いてきた有形/無形資産の上に成り立っているわけで、その「歴史」が欲しいがために、各メーカーはブランドを購入するわけです。
そのブランドがこれまで築いてきたものに、自社の持つテクノロジーや販路をプラスした場合、シナジー効果が出るかどうか、というところがその判断基準ですね。

買収に関しては例外的に、「スーパーカーを作りたかったので」ランボルギーニを買収してみたり、「オフローダーを作りたかったので」ランドローバーを買収 したり、といった自動車メーカーの例もあり、それはそのメーカー本体のラインアップを強化するための買収であった、ということもあります。

もうひとつの例外としては、パガーニ。
新たに設立したブランドですが、すでに「誰もが認める」だけの地位を手に入れているブランドですね。

VWアウディグループについて考えてみると、これは世にある「すべての需要を」自社で賄おう、という意向のようにも見えますね。
同時に、潜在的需要も喚起しようとしている様子も見られます。

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