>香港 ●その他ニュース・ネタなど

【連載11】ザ・ペニンシュラ香港にて、ロールスロイス・ファントムEWBをチャーターしてみた。香港の自動車事情とは?

2019/1/18

ぼくは「CL」さんにて記事を連載させてもらっていますが、その記事を転載したのがこちら。こちらのブログでも改めて、連載記事を紹介したいと思います(元記事はこちら)。 もくじ1 ザ・ペニンシュラ香港とは1.1 香港国際空港に到着すると、さっそく出迎えが1.2 ザ・ペニンシュラ香港のロールスロイス・ファントムはこんな感じだ1.3 香港にはスーパーカーも多い1.4 こちらもオススメ、関連投稿 ザ・ペニンシュラ香港とは 「ザ・ペニンシュラ香港」は、1928年に香港にて開業したホテルである。ラグジュアリーなことで知ら ...

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>ポルシェ関連・ニュース・ネタ >ドバイ/アブダビ ●その他自動車関係(日本車) ●その他自動車関係(欧州車) ●自動車関連ニュース・ネタなど

【連載8】フェラーリだけで100台以上!?ドバイのスーパーカーディーラーは、スーパーカーフリークにとって楽園だった!

2018/12/20

ぼくは「CL」さんにて記事を連載させてもらっていますが、その記事を転載したのがこちら。 こちらのブログでも改めて、連載記事を紹介したいと思います(元記事はこちら)。 もくじ 1 フェラーリだけで100台以上!?ドバイのスーパーカーディーラーは、スーパーカーフリークにとって楽園だった! 1.1 ドバイのスーパーカーディーラーを訪問してみよう 1.2 ドバイのメトロに乗ってみよう 1.3 二軒目のスーパーカーディーラー、「PRINCESS AUTO」を紹介する 1.4 三軒目のスーパーカーディーラー、「EXO ...

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>中国

中国・上海の様子を画像にて。発展の裏には”取り残された”部分がある

2018/11/3

| 中国・上海の様子を画像にて | さて、少し前に訪問してきた上海。 その様子を画像にてお届けしたいと思いますが、今回宿泊したのは人民広場前のホテル、「金門大酒店」。 上海最初の高層建築でもあり、当時高名なイタリアの建築家によって設計されたというホテルでもあります。 現在では老朽化が進んでいて他のホテルに対する優位性が失われており、「価格」「立地」程度しか特徴がなくなってしまっていますが、その「昔っぽい」雰囲気もなかなかだとぼくは考えています。 中国・上海で泊まったホテルはここ。上海最初の高層建築、192 ...

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>ランボルギーニ・ウラカン

【連載4】スーパーカーに乗るにはどれくらいの維持費が掛かるのか?8年で2台のランボルギーニに支払った費用と生活を振り返る

2018/12/20

もくじ 1 スーパーカーに乗るにはどれくらいの維持費が掛かるのか?8年で2台のランボルギーニに支払った費用と生活を振り返る 1.1 ポルシェの維持費はどれくらいだろう 1.2 こちらもオススメ、関連投稿 スーパーカーに乗るにはどれくらいの維持費が掛かるのか?8年で2台のランボルギーニに支払った費用と生活を振り返る ぼくは「CL」さんにて記事を連載させてもらっていますが、その記事を転載したのがこちら。 こちらのブログでも改めて、連載記事を紹介したいと思います(元記事はこちら)。 今回は、スーパーカーの維持費 ...

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>イタリア >他ランボルギーニ関連・ニュース・ネタ

【連載3】イタリアのランボルギーニ本社に併設されたミュージアム&工場見学ツアーは、オーナーでなくともぜひ訪れてみたい

2018/12/20

ぼくは「CL」さんにて記事を連載させてもらっていますが、その記事を転載したのがこちら。 こちらのブログでも改めて、連載記事を紹介したいと思います(元記事はこちら)。 もくじ 1 イタリアのランボルギーニ本社に併設されたミュージアム&工場見学ツアーは、オーナーでなくともぜひ訪れてみたい 1.1 そもそもランボルギーニ・ミュージアムとは? 1.2 ランボルギーニ・ミュージアムはどうやって訪問するのか? 1.3 いざボローニャへ 1.4 ランボルギーニ本社へ到着。足を踏み入れる 1.5 こちらもオススメ、関連投 ...

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>ドバイ/アブダビ ●その他自動車関係(日本車)

【連載2】地平線まで続く砂漠をトヨタ ランドクルーザーで駆け抜ける!ドバイの「サファリツアー」へ行ってきた

2018/12/20

ぼくは「CL」さんにて記事を連載させてもらっていますが、その記事を転載したのがこちら。 こちらのブログでも改めて、連載記事を紹介したいと思います(元記事はこちら)。 もくじ 1 地平線まで続く砂漠をトヨタ ランドクルーザーで駆け抜ける!ドバイの「サファリツアー」へ行ってきた 1.1 そもそもドバイとは、どういったところなのか? 1.2 「サファリツアー」とは? 1.3 いざ、砂漠へ 1.4 実際に砂漠を走行してみる 1.5 こちらもオススメ、関連投稿 地平線まで続く砂漠をトヨタ ランドクルーザーで駆け抜け ...

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>BMW i3

【連載1】さよならBMW i3。売却後、あらためてこのクルマがつくられた意図を考えてみた

2018/12/20

ぼくは「CL」さんにて記事を連載させてもらっていますが、その記事を転載したのがこちら。 まずは連載一回目の記事を紹介したいと思います(元記事はこちら)。 もくじ 1 さよならBMW i3。売却後、あらためてこのクルマがつくられた意図を考えてみた 1.1 そもそもBMW i3とはどういった車なのか 1.2 では、その結果はどうだったのか? 1.3 こちらもオススメ、関連投稿 さよならBMW i3。売却後、あらためてこのクルマがつくられた意図を考えてみた 皆さんはじめまして。 今回からカレントライフにて連載を ...

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>香港

香港・セントラル(中環)の風景を画像にて

2018/6/25

| 香港・セントラル(中環)はこんな感じ | さて、香港はセントラルの風景を画像にて。 セントラル(中環)は古い街並みと最新の街並みとが同居する地域ですが、「古い方」だとこんな感じで市場も多数。 地元の人が多く買い物に訪れているようです。 こちらもオススメ、関連投稿 香港へ行ってきた。セントラル(中環)にあるショッピングセンター「ランドマーク」、湾仔の様子 香港の(夜景で有名な)ビクトリアピークへ。トラムを使わずに徒歩で山頂まで登ってみる 「トランスフォーマー」ほか映画で有名な”あの”マンション群を見に鰂 ...

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>中国

中国・上海で泊まったホテルはここ。上海最初の高層建築、1926年建設の「金門大酒店」

2018/5/23

| 上海の常宿、金門大酒店はこんな感じ | さて、上海に来るといつも利用するホテル、「ジン ジャン パシフィック ホテル上海/上海金門大酒店/Jin Jiang Pacific Hotel Shanghai」。 ほかにもいくつか高級ホテルも含めて泊まったことがあるものの、ここが一番落ち着くと考えています(理由はわからない)。 場所は人民広場前、地下鉄駅「人民広場」徒歩数分、繁華街の南京東路、南京西路にも歩いて行けるという立地で至極便利。 こちらもオススメ、関連投稿 中国・上海の様子を画像にて。発展の裏には ...

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>中国

関空から上海へ。厳しくなった入国審査、そしてリニアモーターカーに乗って市内へ向かう

2018/9/3

| 上海へ行ってきた。関空からリニアモーターカーまで | さて上海へ。 出発地は関西国際空港、目的地は上海浦東国際空港となります。 利用する航空会社は中国東方航空で、所要時間は1時間40分くらい。 大阪から東京へ行くよりも、関空から上海へ行く方がずいぶん近いというのはちょっと不思議な感覚ですね。 こちらもオススメ、関連投稿 上海でリニアモーターカーに乗ってみる。時速300キロオーバー 中国・上海を訪問。まずは空港到着から市内まで地下鉄で移動 上海市内から空港へ。空港内プレミアムラウンジを利用してみる 中国 ...

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>ポルシェ関連・ニュース・ネタ

「運とは生死を分けるもの」ポルシェが伝説的ドライバー、ハンス・ヘルマン90歳の誕生日を祝う

更新日:

| 人には運が必要 |

ポルシェが耐久レースのスペシャリスト、ハンス・ヘルマン氏の90歳を祝福。
ルマンでも勝利を記録したことがあり、彼が生涯獲得した優勝の大半はポルシェによって成し遂げられた、とのこと。
本文を読むとまさに「栄光に彩られた経歴」で、冷静さと度胸とを兼ね備えた人物であるようですね。



ポルシェからのプレスリリースはこちら

ポルシェAG(本社:ドイツ、シュトゥットガルト 社長:オリバー・ブルーメ)のワークスチームにおいて輝かしい成功を収め、その名を広く知られたレーシングドライバーのハンス・ヘルマンが、2月23日に90歳の誕生日を迎えました。1928年にシュトゥットガルトで生まれたこの耐久レースのスペシャリストは、モータースポーツ史上最も安定したレーシングドライバーのひとりであると考えられています。ハンス・ヘルマンは、モータースポーツの現役中に80を超える総合優勝とクラス優勝を飾り、その大半はポルシェによるものでした。

ステアリングを握る“Hans im Glück”(グリム童話の『幸せハンス』)は、ツッフェンハウゼン生まれのスポーツカーを駆り、ミッレミリア、タルガ・フローリオ、カレラ・パナメリカーナ、そしてもちろんル・マンにおいても輝かしい成功を飾りました。1970年には917でポルシェに初のル・マン総合優勝をもたらします。彼のキャリアは、1952年に、プライベートチームのポルシェ356による山岳レース、ラリー、および耐久レースへの出場から始まりました。翌年には、リヒャルト・フォン・フランケンベルクと組んでポルシェ356を駆り、リヨン=シャルボニエール・ラリーで5位入賞を果たします。それが、当時ポルシェ レーシングチーム監督だったフシュケ・フォン・ハンシュタインの目に留まり、ヘルマンはポルシェ ワークスチームに迎えられます。1953年には、コパイロットのヘルム・グレックラーと組んでポルシェ550クーペでル・マン24時間レースに初挑戦し、排気量1.5リッタークラスで優勝を飾っています。

同年、ドイツ・スポーツカー選手権でタイトルを獲得し、それがメルセデス・ベンツのレーシングチーム監督のアルフレッド・ノイバウアーの目に留まります。ヘルマンは26歳でメルセデスのワークスチームに移籍し、ファン・マヌエル・ファンジオ、スターリング・モス、カール・クリンクとチームを組みます。それと並行して1954年にポルシェで引き続きレースに挑み、550スパイダーを駆りミッレミリアとカレラ・パナメリカーナでクラス優勝を果たしました。

決して忘れられることのないのが1954年のミッレミリアにおける大事件です。ヘルマンとコパイロットのヘルベルト・リンゲは、電車が急接近する線路内で、閉じた踏み切りを横切るために遮断機の下をくぐりました。後にヘルマンは、この途方もない瞬間の写真をレターカードにして、“Glück muss man haben”(「人には運が必要です」)という言葉を添えました。彼は会話の中でも、“Glück hat, wer als Rennfahrer überlebt.”(レーシングドライバーにとって運とは生死を分けること)と声を落として言うことがよくあります。

ダイムラー・ベンツがモータースポーツから撤退した1955年に、ハンス・ヘルマンは再度ポルシェのステアリングを握ります。その後、マセラティ、B.R.M、ボルクヴァルトに籍を置き、1959年にふたたびポルシェ ワークスチームに戻ります。1960年には、オリビエ・ジャンドビアンと組みポルシェ718 RS 60スパイダーでセブリング12時間レースの勝利を収め、ポルシェに耐久レースのマニュファチャラーズ世界選手権における初の総合優勝をもたらしました。直後に、ヨアキム・ボニエと組み、ポルシェ718 RS 60スパイダーでタルガ・フローリオを制し、ポルシェ718/2を駆ってF2ヨーロッパチャンピオンにも輝きました。

1962年にウィーンのデザインエンジニアであったカルロ・アバルトのチームに移籍し、1963年からアバルトのワークスドライバーとして活動します。3年後の1966年にポルシェ ワークスチームに復帰し、メジャーな耐久レースとヨーロッパヒルクライム選手権に挑みながらヴァイザッハに新設された開発センターで無数のテストドライブをこなしました。

1969年にポルシェ ワークスチームは、ハンス・ヘルマン、ジョー・シフェール、ヴィック・エルフォード、ロルフ・シュトメレン、ウド・シュッツ、ゲルハルト・ミッターという布陣で、メーカー世界選手権で初めてのタイトルを獲得します。史上に残るスリリングなレースとなった同年のル・マンにおいて、ヘルマンは24時間の激しい戦いの後に120m差でフォードGT 40を駆るジャッキー・イクスに勝利を譲らなければなりませんでした。しかし1970年、ヘルマンは自身11回目の挑戦で初めてのル・マン総合優勝をポルシェにもたらしました。

その偉業を成し遂げて間もなく、当時42歳のヘルマンはモータースポーツからの引退を表明しました。レース前に彼は、優勝を飾ることができたら危険な職業から身を引くことを妻のマドレーヌに約束していました。ヘルマンはまた、ヒストリックレーシングカーのドライバーとして、「ル・マン・クラシック」、「タルガ・フローリオ」、「ソリチュード・リバイバル」など、ポルシェ ミュージアムの多数のヴィンテージカーイベントにも参加しています。
プレスリリース全文はこちら

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